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2013年2月

2013年2月 3日 (日)

従順ならざる唯一の日本人

過去のNHK作品は、政府の腰砕けの外交に業を煮やしてか、

次々と外交能力の強かった時代と、政府への「嫌味」を繰り出している。

大友啓史監督を起用し、「白洲次郎」「龍馬伝」を作り出す。

白洲次郎氏は第二次世界大戦後、吉田内閣で、

吉田茂の懐刀として、巧みな英会話を駆使し、アメリカ進駐軍と対等に向き合い、

“従順ならざる唯一の日本人”

 言わしめた人物である。

ドラマの中のワンシーンが、本当にあった出来事かは定かではないが、

天皇陛下からマッカーサーに、クリスマスプレゼントを渡すシーンである。

そのプレゼントに対し、マッカーサーは

「その辺に置いておけ」

と言うのに対し、白洲次郎は、

「私たちは戦争に負けただけで、奴隷になったわけではない」。

と敢然と言い放つ。

この言葉の重みを、今一度噛み締めて欲しいと思う。

 

また、日清・日露戦争を描く司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」では、

この文面を起用している。

 

「やがて、日本は日露戦争と言う、途方も無い大仕事に、無我夢中で首を突っ込んで行く。

その対決に辛うじて勝った。

その勝った収穫を、後世の日本人は食い散らかしたことになる。

が、とにかく、この当時の日本人達は精一杯の知恵と勇気と

そして幸運をすかさずつかんで操作する、外交能力の限りを尽くして、そこまで漕ぎ着けた。

今から思えば、冷りとする程の奇跡と言っていい。

その奇跡の演出者たちは、数え方によっては、数百万もおり、絞れば、数万人もいるであろう。」

 

1968年から新聞連載されたこの作品であるが、

今から45年も前に、すでに司馬氏は「後世の日本人は食い散らかした」と批判している。

良くも悪くもこの時代までの軍人=外交官は、それぞれの能力を駆使し、

日本と言う国に誇りをもっており、

必要とあらば「切腹」も辞さない覚悟が司馬氏の文面には溢れ出ている。

 

NHKは民放と違い、多少露骨に表現している。

「史実」としても面白いが、深読みすればさらに面白いことが隠されているように思える。

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2013年2月 2日 (土)

いま、なぜ阿弖流為(アテルイ)なのか?

いま、なぜ阿弖流為(アテルイ)なのか?

NHKで、「時代劇」としては珍しい古代史に触れている。

アテルイは東北の雄として、自分たちの住む土地を、

時の権力者である大和朝廷から守ろうと坂上田村麻呂と対決して敗れ、

処刑されてしまう。

学校の授業では、ものの数分、いや数秒で流されてしまうこの戦いを、

あえていまNHKは取り上げる。

それを少し自分なりに深読みしてみた。

 

当然、今現在、東北は震災復興で大変な時期である。

だからこの話しを持ち出した。

というだけではないと思う。

アテルイが生きた時代は、縄文・弥生という自然と共存した時代で、

おおよそ、「大きな権力の支配」などな無い時代であった。

この「大きな権力の支配」と言うのがキーワードなのである。

多少の小競り合いはあったであろうものの、
縄文・弥生時代は、1万年も続いているのである。

同じ頃、ヨーロッパなどでは、権力を求め、目まぐるしく時代が変わっている。

同じように、日本も奈良時代から、目まぐるしく時代が変わっている。

「権力の支配」は、ある意味、自然界との決別を意味し、

「神」ではなく「権力者」にひれ伏すことを要求していくようになる。

 

また、「理不尽なことを理不尽だ」と命をかけて言い放つアテルイは、

いまの日本の国や社会に、まさに大切なメッセージで、

しかも、その「理不尽さ」に命を奪われてしまうのもまた、
今の世の中がリンクしてしまう。

 

私たちが、間違ってはいけないのは、

戦争に勝った者が「正義」で、負けた者が「悪」ではないと言うことだ。

勝者が、都合の良いように吹聴し、また書物を編纂する。

 

このアテルイの話を、「原発反対」に置き換えると、
全く同じようなことがリンクするのではないだろうか?

「アテルイ」

「大きな権力」

「権力者にひれ伏す」

「理不尽」

「理不尽さに命を奪われる」

 

NHKは、日本政府にドラマを通じ、
非常に厳しい意見を突きつけているのではないだろうか?

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