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2012年10月14日 (日)

平和のゆくえ

10月9日、パキスタンで、マララ・ユスフザイさん(14)が銃撃された。
この衝撃的な事件は世界を駆け巡った。
犯行は反政府武装勢力タリバン。
彼らは、女性に教育は不要など強制してきた。

もともとタリバンは、旧ソ連軍がアフガニスタンに侵攻したため、
無秩序になったアフガニスタンを立て直すために学生達で組織された。
当時、ムシャヒディンに少女2人が誘拐されたのを、
彼らタリバンが無事救出し、英雄扱いされた。
その後アフガニスタンを安定させ、彼らの活躍に希望を抱いたものだった。
しかし、彼らは厳しいまでのイスラム原理組織で、
守らないものを容赦なく処刑し始めた。

マララさんは、それに反発し、ブログを書き続けた。
それが「平和賞」を受賞する形で名前が浮上し、皮肉にも「標的」となってしまった。

世界の国々のは、様々な考え方や、教え、神が存在し、
そのほぼ全て、日本以外は、それぞれの神を崇拝している。
その彼らの信じる「神」は何を教えたのか、その根本を疑って仕方がない。
つまり、『自分以外の「神」は排除せよ』
というのがあるのか?
「多くの神」ではなく、「一つの神」のなるまで争いは続くのか?

ならば国連は、「平和」のために軍を出すのではなく、
軍や武器を作る資金があれば、それを
平和を望む人たちを避難させる場所作りに使えないのか?
そのあと、残った軍同士で、思う存分殺しあえば良い。

日本の我々から見ると、当たり前と思われる彼女の主張。
それが銃弾の標的となるような場所があることを、
いつまでも放置したくはない。

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