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2009年8月

2009年8月29日 (土)

小綬鶏(コジュケイ)の誘い

久しぶりに、
昔よく聞いたCDを引っ張りだしてみる。
「Heart Cocktail」(6枚組)
1、2枚目を松岡直也
3枚目をトニーズショー
4枚目を島健
5、6枚目を三枝成章
が担当する。
わたせせいぞうのお洒落なストーリーと絵。

20年前、
たった4〜6頁の短いストーリーに釘付けになった。
絵はもちろん、
内容も文章も、全てにおいて魅せられた。
いまの僕の文章の書き方は、
どこか似ているかもしれない。
「盗作」
と言われたなら逆に本望なくらいだ。
冗談はさておき、
「お洒落」
と言うことをこの作品に教えてもらった。
一言で言えば、
「身の周りをブランドで着飾ることではなく、自分の感覚のフィルターを着飾る。」
つまり、
相手への感じさせ方、
そして、
自分の感じとり方。
これらの一連の感覚遊びを
「お洒落」
と言うのだと。

そんなことを考えながら車を走らせる。
雨の日には島氏や三枝氏の、
晴れた日には松岡氏やトニーズショーがよく似合う。

今日は雨。
その瞬間を楽しむ。
中国道。
普段入らないPAに寄る。
珈琲タイム。
小雨の中、
「ちょっと来い、ちょっと来い」
の鳥の鳴き声。
道理で普段入らない赤松PAに寄るわけだ。
小雨の中の小綬鶏(コジュケイ)の誘い。

小綬鶏:
キジ類でキジやヤマドリより尾が短く、ウズラよりちょっと大きい。
「ピッピュクァイ!ピッピュクァイ!」
の鳴き声が
「ちょっと来い!ちょっと来い!」
と聞こえる。

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2009年8月24日 (月)

今回総選挙の「カラクリ」

衆議院総選挙公示。
史上初、
解散から選挙までが、
40日。
長い、長すぎる。
与党の批判熱を冷ます狙い。
40日もあれば、
国民に迷いが生じる。

と、メディアは伝える。

しかし、
本当の狙いは違うとこにあると推測するメディアも。
それは、
解散後、政党支持者が地方に住民票を移動させる時間と伝える。

つまり、
住民票を移動させ、
その地に30日住めば、
選挙権が発生する。

予め政党支持者には、
解散後の移動地を指示。
そして解散。
直ぐさま行動。
そして30日。
つまり、この日が公示の日。
だから投票用紙が移動先地に送られる。
こんなカラクリがあるのでは。
と推測する。

現在不評な与党の、
選挙で議席をとるための恐ろしいまでの策略。
野党は、
解散時期がわからなかったため、
真っ向マニュフェストで勝負を余儀なくされる。

これが真相なら、
驚きも驚き。
違法ではないだろうが、
果たしてそれで良いのだろうか。
各自治体は住民票を調べてみてはどうだろうか。

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2009年8月23日 (日)

田園風景(エッセイ)

田園風景(エッセイ)
田園風景(エッセイ)
田園風景(エッセイ)
見渡す限り、
一面に広がる田園風景。
あと一月もすれば、
辺りを黄金色に染める。
東方見聞録に書かれた黄金の島。
マルコポーロが己が一度も見ずして書き記した「黄金」とは、
このことだったのだろうかと想いを馳せる。

この風景、
つい5、60年ほど昔は、牛もしくは手作業で植えられていたのだとは、
今では信じられない。
何人の手で、
何日かければ、
この広大な土地に苗を植えることができたのだろうか。
昔の農家の方達は、
季節になれば
生活ほとんどの時間を、
来る日も来る日も、
田植え、刈り入れに追われ、費やしたに違いない。
いまは、
機械の発達で、
昔よりは早く作業を終え、残りの時間を他の仕事や余暇に使える。

しかし、
よくよく考えてみるに、
時間に追われているのはどちらだろう。
機械の発達は私達に「ゆとり」をもたらしたのだろうか。
確かに、昔は手作業のあまり時間に追われる。
が、一人では無理のため、家族、近所と協力する。
それが、楽しみであり、大切な繋がりを作るきっかけであったのだろう。
しかし今は、
機械の発達で「ゆとり」がある反面、
その発達は、
簡単に作業が出来るため、季節になれば田んぼで一人か二人で作業する風景を生み出した。
それに、
その作業は会社勤めの合間にと、大変極まりない。
これは何も農家だけではない。
新幹線の発達は、
遠く離れた人に、すぐに会える反面、
東京、大阪間で、
朝9時の出勤を可能とした。
私が大手で働いていた頃、
新幹線「のぞみ」の出現は、仲間に大いに苦笑いをさせたのを覚えている。

日本は、物凄く便利になった。
100年前には、
電化製品も鉄道もほとんどその姿はなかったのだ。
本当に便利になったと思う。
しかし、
その便利さのあまり、
大切なものを失った代償は大きい。
その失ったものに気づいてないこともまた、悲しいといわざるを得ない。
その流れを止めることは出来ない。
ならば、
上手くそれらと付き合っていく方法を、
考える必要があるのではないだろうか。

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2009年8月12日 (水)

今宵、流星群

立秋をすぎ、
夜の涼風の中に虫の声。
今年は梅雨明けが遅れたために、
夏と秋が同居する。
各地では日照り不足で作物の値段が高騰。
しかし、
それでも野菜や花は季節通りに精一杯実り咲く。
優しい自然の姿。

一部の地域では、
激しく雨が降ったところを、
激しく揺さぶる。
天が荒れ、
地も荒れる。
厳しい自然の姿。

何億年も繰り返された当たり前の自然の営み。
その厳しさ、優しさを、
個人個人はどう解釈し、
自分を納得させるのか。

今宵、
自然はその厳しさの中、
ささやかな優しさ、
ペルセウス座流星群を見せてくれるだろうか。

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2009年8月 8日 (土)

ガラスの兎

大きな掌を握り締めながら
いつも歩いてたあの坂道
おとぎ話を語るように
私に聞かせ続けた

目が眩む光、激しい風
灼熱の渦が町を包み込む
気が付いた時には目の前に広がる
地獄と化した風景

一瞬のうちに全てが消え去り
永遠の戦いが始まる
「いいか良く聞け、お前の中にも戦争の爪跡が流れる」


私の掌に手渡した物は
祖母の形見のガラスの兎
ガラスが溶けるほどの灼熱の中で
父さんの家族は消えた

焼けただれた野原には
いつしか緑が芽生える
けれど
焼けただれたこの身体には
悲しみと憎しみが芽生える
「誰も恨むな恨んではいけない、これが戦争なんだ」と


程なくして父は逝った
戦争の愚かさを私に残して
60年も過ぎた今でもなお
あの戦争はまだ終わってない


世界のどこかでまた人が死ぬ
映画のようにテレビは映し出す
平和を刹那に望む人達を
たった一つの爆弾が望みを灰にする


小さな掌を握り締めながら
いつも歩いてたあの坂道
おとぎ話を語るように
子供に語り続ける・・・

広島・長崎・本土大空襲に寄せて

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2009年8月 2日 (日)

今この一瞬の為の今までだった

今この一瞬の為の今までだった
色白で、
生クリームのような甘い香。
一言で表すと美味しそう。
クチナシの花。
花は理解出来るが、
葉っぱまでも甘いのだろうか?
というのも、
鹿達は好んでクチナシを食べるらしく、春先までは無惨な姿である。
隣の月桂樹は無傷なのに。

いまは山にも餌があるのだろか。
クチナシはここぞとばかりに葉を繁らせ、花を咲かせている。
言うなれば
「鬼のいぬまに」
ってところだ。
だから花はニコニコと笑っているように見える。
これは、
一年を通して、クチナシの耐え忍ぶ姿を見ているからこそ思えることなのだが、
この一部始終を知らない人がみれば、
「何と幸せそうにニコニコと」
と思うのだろうか。

いずれにせよ、
辛い時期は長く、
花の咲く幸せな時期は一瞬。
またすぐに鹿に食べられる辛い季節が来る。
それはクチナシだけではない。
花の咲く時期に
「今この一瞬の為の今までだった」
と思えるだろうか。
自分の心が決める「幸せ」。
それは決して「裕福」などではない。
それを見越してなのか、
古人が付けた花言葉は
「私は幸せ」


クチナシの花言葉:私は幸せ

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