« 2009年1月 | トップページ | 2009年7月 »

2009年6月

2009年6月28日 (日)

憧れの蝉たち

ニイニイゼミの声を、
今年初めて聞いた。
多分、6月の上旬くらいから鳴いていたのだろう。
いつも朝早く仕事に、行くので、聞かなかったと思う。

ニイニイゼミは5〜6cmくらいの小さな蝉だ。
この山、天神山で真っ先に鳴きはじめる。
鳴き声は、名前の通り、
「にぃ〜〜〜〜〜〜〜」
と鳴く。
時折、オクターブほど高くなったりする。
アブラゼミやクマゼミなど、他の蝉よりうるさくはない。
木葉が風に擦れ合うざわめきに、
さりげなく溶け込むよう。

子供の頃よく捕まえた。
網ではなく素手で。
兄弟の間で、素手で蝉を捕まえるのを競った。
ニイニイゼミは初心者向け。
逃げるのが遅いのだ。
次にアブラゼミ。
このハードルは高い。
低学年の小学生には近寄ることも難しい。
だから捕まえたときは嬉しかった。
高学年の兄はヒグラシを捕まえる。
朝夕、美しい声で鳴くヒグラシは、まず昼間に見つけるのが難しい。
薄暗い林の中で鳴かずにいる。
だから僕らにしてみたら、鳴かない分、逃げること一点に集中しているかのように思えた。
態勢を低くし、時には木の後ろから近寄った。
近寄れれば、後は手のスピード。
息を止めて、素早く。
しかし、
見ている所には、なかなか手が行かない。
もどかしい。
だから、練習をした。
飛んでる蚊を捕まえる。
ふわふわ飛ぶ蚊を目で追い、捕まえる。
そしてヒグラシにチャレンジ。

「捕まえた!」
その瞬間「キッ!」と鳴く。
オスだ。
鳴かなければゴロ。メスである。
さあ、次はツクツクホウシだ。

当時、
ミンミンゼミやクマゼミは、天神山にはいなかった。
たまに居ても、手の届く低い所にはなかなか止まらない。
だからこの2種類の蝉は、
大人になった今でも、
憧れの存在である。
蝉との想い出。
また、
今年も本格的な暑さが始まる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月23日 (火)

沖縄慰霊祭に・・・

「感謝」

透明のハンモックに寝転び
天高く舞い上がる
見下ろすこの世界は
蒼くどこまでも蒼く
命のやり取りなど何も無いように・・・

あなた達は
こんな国を作るために命を捨てたのか
あなた達の命と引き換えに
手に入れた平和がどれ程尊いか
伝えられないままに・・・

毎年8月に先の大戦が取りだたされる
そして15日を境にまた来年

日の丸反対
国歌反対
あなたの子供達は論議を続ける
けれど
あなた達への感謝の気持ちは
置き去りにされたまま・・・

あなた達は
こんな国を作るために命を捨てたのか
あなた達の命と引き換えに
手に入れた平和がどれ程尊いか
伝えられないままに・・・

戦場に向かった部隊は無事生還
なのにこの国では毎日人が死ぬ

親を殺し
子供を殺し
あなたの子供達は犯罪を続ける
それを
あなた達は
どんな気持ちで空の上から見てるのでしょうか?

世界平和
そんな有り触れた言葉に惑わされないで
たった一日でいい
誰ひとりとして殺されない
事故や災害で死なない
そんなニュースが流れる一日が何より尊い
いつしかこの国は
平和と言う名の戦場に身を晒すようになってしまった

かつてあなた達が命を捨てて守ろうとした国は
こんなになってしまった
あなた達は
こんな国を作るために命を捨てたのか
あなた達の命と引き換えに
手に入れた平和がどれ程尊いか
伝えられないままに・・・

透明のハンモックに寝転び
天高く舞い上がる
見下ろすこの世界は
蒼くどこまでも蒼く
命のやり取りなど
何も
何も
無いように・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月21日 (日)

抱き締めた感覚

淋しさで目を覚ます
あなたがいない
どこを見ても
どこを探しても
あなたがいない
今までは夢だったのか
でも
あなたを抱き締めた感覚が
いまもはっきりと
この手に残っている

あなたは
何のために私の傍に来て
何のために私の傍を去ったのか
その意味は何

わたしの細胞全てをあなた色に染めて、
全力であなたを追い掛ける
それが
これからの私が生きる意味
あなたと共に生きる意味

毎年この花に誘われ
ここに訪れる
あなたは昔
この花を好きと言った
その一言で
わたしもこの花を好きになった
その花がこんなにも
こんなにも
大切になるなんて・・・

でも
あなたがいない
どこを見ても
どこを探しても
あなたがいない
あなたを抱き締めた感覚が
いまもはっきりと
この手に残っているだけ


この詩は1年前にピーモにアップしました。
今月のネットラジオで取り上げられています。

詩に登場するのはユリ。
ユリの花言葉は純潔・貞操


これは男女の恋愛観ではありません。
我が子を病で失った母親の観点からの詩です。

スペインの話しでは、
魔法で獣かえられた人間は、
ユリの花に助けられてもとに戻る。
病魔に連れ去られた家族をユリが助けるって想いも込めています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月14日 (日)

「変わらない」は最高の「変化」(エッセイ)

旅に出れば、
同じ宿に泊まることはそう多くはない。
でも、
2度3度と泊まることがあれば、
その時々に新しい発見を楽しみたい。
しかし、
本来、「旅館」と言うものは変わってはいけない。
何十年、何百年と続く旅館ならなおさらである。

何故なら、
旅人の本来の目的は旅館ではない。
観光であったり仕事であったり。
その中での「表向き」の旅館の役目は、
「日常からの別離」
と思われる。
しかし、
2度3度と泊まると、
ふと、我に帰り、ゆっくりと庭や部屋など旅館全体を見渡す時がある。
その時、
旅人は思い出すのである。
「どこか懐かしい」
と。
見ているようで見ていない。
しかし、心は記憶しているのである。

変わらぬ空間に
変わらぬ景色。
その中での変化は時の流れによるもの。
四季折々の花や庭木の表情など。
それは「変化」などではなく「成長」と呼ぶに相応しい。

自分は駆け抜けた時間に、どれだけ成長出来たのか。
目に映るものだけを見、
そのもの本来の表情を見落としてはいないだろうか。
それは日常を離れた時のみに気づく。
また、
旅人によっては、世代を渡り懐古することもあるだろう。
これらの時が旅館本来の役目なのではないだろうか。

急激に変化する時代。
時を止めることは並大抵のことではない。
しかし、
旅館は「時を止める」ことに最善の努力をする。
つまり、
「変わらない」
と言うことこそ、最高の「変化」なのである。
旅人もまた、そこに気づくことが出来れば、
楽しみ方の範囲が広がるのではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

庭で光る小宇宙

庭で光る小宇宙
庭で光る小宇宙
庭で光る小宇宙
美作、湯郷、にしき園
明け方、大浴場入口。
石ウサギ。
久しぶりに対面する。
季節は芒種(ぼうしゅ)。
二十四節気の1つで、6月6日ごろから夏至までの期間をいう。
この時期、石ウサギは紫陽花をまとう。

「蛍はご覧になられましたか?」

と言ったような表情だ。

「もちろん」

と答えると、

「それは良かったです。
でも私は夜は早く寝ちゃうので、夜のことはいつもそこにいるフクロウさんから聞くんです。」

「え?フクロウ?」

驚いて庭を見渡すと、こんなところに!いつから?

するとフクロウが答える。

「いつも見ていたのに、なかなか気づいてくれなかったけど、ようやく気付いてくれたね。
朝になったから、僕はもう寝ちゃうけど、良いことを一つ教えてあげるね」

そう言ってフクロウは、
軽く羽を広げた。

「昨夜は曇り空で残念だったけど、ここは星空が綺麗なんだ。
川には蛍の群れ。
そして昼間にも星が見えるんだ。」

フクロウは得意げにそう言った。

「え?まさか?どこに?」

と言う僕に、

「この庭の中で見れるよ。」

辺りを見渡す。

「あっ!」

と言う僕を見て微笑むフクロウは眠りにつく。
森の知恵者フクロウが大切にする、小宇宙。
夏の陽射しを浴びで光るスギゴケがあった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月13日 (土)

「今日の国」から「明日の国」へ

高速道路を西へ。
午後6時。
間もなく夏至を迎えるため、
この時期の太陽はまだ高い。
雲間から顔を出す太陽はまだまだ元気があり、
夕暮れ時の弱々しさを感じさせないでいる。

滋賀から京都へ抜ける。
山に近づくに従って、少しずつ高度を下げる太陽。
山を一つ二つ越える。
広がる京都の町並みに、山の端はまだ遠くはるか。
つまりまた太陽が高くなったように感じるのだ。

いま自分は、
暮れかかろうとしている「今日」という日を追いかけて走っている。
夕闇に包まれないように、早く、早く。
太陽が低くなる。
もう少し、あと少し。
「今日」を終わらせないためにアクセルを踏む。

京都から大阪。
沈んだはずの太陽がまた昇っている。
6時半。
滋賀の町は夕闇が支配する準備を始めた頃だろう。
僕は逃げる。
夕闇から。
まだ「今日」が残っている。

豊中。
太陽は眩しさを失い、代わりに朱みが増す。
六甲山の上の雲の中に滑り込む。

西宮を過ぎると、
太陽はまだ少し高い位置にある。
しかし、
白い灰色の雲に包まれた太陽は、最期の力を振り絞り、
雲間から道路を照らす。
夕闇の支配を受けるのも時間の問題だ。

でも、抗う。
午後7時、家々に明かりが灯る。
夕闇と共に「明日の国」が押し寄せる瞬間。
太陽を飲み込んだ灰色の雲は、ほんの少しの朱を残し、
最期の抵抗を見せる。
その隙に車はさらに西へ。
すると、
加西はまだ明るい!!
夕闇の手を摺り抜けたのか。

そしてとうとうこの時を迎える。
7時半。
宍粟(しそ)市山崎で、甘んじて夕闇の支配を受ける。
今日を見送る。

こんなに夢中に「今日」と言う日を追いかけることはない。
いつもなら、
成す術もなく夕闇を受け入れ、
「明日の国」の支配を受けてしまう。

不細工で不器用な形でも良い。
精一杯今日を抗い、
そのうえで明日を受け入れる。
そのようなことも、
たまには良いかも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年1月 | トップページ | 2009年7月 »