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2008年8月

2008年8月17日 (日)

心の美を映し出す空間

四畳半の小さな空間に身を置く。
茶室。
質素な造り。
私は作法は知らない。
今は習い事としての作法には興味がない。
しかし、この部屋に座れば、利休が極め、荒々しいまでの戦国武将らが競って身につけようとした「美」とは何かを考えさせられる。茶の席では、花一輪と掛け軸をさりげなく飾る。
さらに派手な着物は利休の心にはそぐわない。
あくまでも質素に。
もてなす側の美意識が試される。

しかし、何をもって「美」というのか。
立ち振る舞い、さらには華やかでかつ色彩鮮やかなものを「美」と思ってきたが、いまになって、モノトーンの中の「美」とは何かを考えさせられる。
利休が目指した究極の美とは何なのだろう。

この空間の中では、武士も町人も全ての人が平等であった。
かの時代には斬新な発想と言える。
華美な着物は勿論、武士の命と称される刀までも持って入ることは出来ない。
もてなす側ともてなされる側、あくまで「個」としての人間が相対するだけである。
つまり、人間としての「心の美」を映し出すために、極限まで無駄なものを削ぎ落とした、利休の哲学的な空間の様に思える。

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2008年8月15日 (金)

贅沢な時間(エッセイ)

早朝。
林の間を抜けて涼し気な風が吹く。

自分の生活を振り返る。
仕事をし、また多くの友人と会う。
自分のスケジュールに、分刻みで時間を刻み続ける。音楽の練習、曲のアレンジ、山掃除・・・

スケジュールが空けば不安になり、何をしようかと悩む。
でもそんな時はすっぱりと考えるのを辞め、心を開放する。
いつの間にか時間に縛られた心を、「自然の時間の流れ」に委ねる。
鳥の声、林を抜ける風の音、土の臭い・・・五感が洗われていくのがわかる。

日頃、雑踏の中。
静かな場所に身をおいたとしても、聞こえてくるのは自然のものは少ない。
ほとんどが人工的なものである。

下重暁子氏の書によれば、「贅沢な時間」とは
豪華な部屋で好きなものを着て食べて暮らすことではなく、物や予定、権力や富、欲望から開放されて初めて、本当の「贅沢」を知るとある。

確かにその通りかも知れない。いつの間にか自分のライフスタイルは自分のものではなくなり、何かに縛られている。
僕が思うに、「心の贅沢」とは、人間も自然界の生き物として、
「心を自然の生き物たちとシンクロさせる時間」
を持てることではないだろうか。

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間違った美意識(エッセイ)

8月14日は、モデルの山口小夜子氏が亡くなった日。
真っ黒でおかっぱな髪、切れ長な目。
東洋の神秘と呼ばれた。

パリコレクションに日本人として初めて登場する。
背の低さ、東洋人としての劣等感をカバーするだけの、「洋服」に対する情熱。彼女の心境はどんなだったろう。
ブランド品を着るのではない。彼女が着たからブランド品になるのだ。

「難しい服を着こなしてみせる」
その一言に想いを込める。いつしかパリの街で、黒髪のおかっぱ頭が流行する。洋服の本場パリで、日本人の美しさを認めさせた瞬間である。

日本人本来の持つ美しさ、それは男性も女性も世界の舞台においては、決して引けをとるようなものではない。
彼女は身をもって私達に教えてくれたように感じる。
いまの世代において、ややもすると、ブランド品で着飾ってしまう。
そんな間違った美意識を彼女なら一蹴してしまうだろう。
私達は、どう逆立ちしても日本人なのである。
ならばその美しさを出せる人間、そして街であらねば、勿体ないと思えてならない。

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2008年8月 7日 (木)

彩雲

彩雲
彩雲
こんなに鮮やかな彩雲は初めて。
西日をうけて、ほぼ真上に。
雨上がりではないので、誰も気づいてない様子。

独り占め独り占め〓

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