2013年5月 5日 (日)

短詩の解説

止まる進むまた止まる 恋も電車もそんな調子
姪の作品を私の視点から解説してみる。
贔屓目ではなく非常によく出来た短詩。
「電車」という物質的なものに、「恋」という抽象的なものの対比で、
しかも謎掛けのような手法で書かれている。
電車と掛けまして恋と解く、
その心は、止まる進むまた止まる。
と言うような具合だ。
また、さらに、
「止まる進むまた止まる」
と言う言葉が奥深い。
電車とは「進む」べきものであるにも関わらず、
あえて「止まる」と言う視点でとらえることにより、
新幹線のような「都会的」でしかも速度の「速い」ものではなく、
いかにもゆったりとした、
田舎の陽だまりを走る各駅停車の電車を連想させ、
さらに、淡い幼い恋心を見事に表現している。
また、驚くことに、
「そんな調子」
と言う、チョーいい加減な言葉を使うことにより、全体をアバウトにまとめ上げている。
これが、
「恋も電車もよく似ている」
では、人々の共感は得られない。
それを、
「そんな調子」
とすることにより、
これっぽっちでも
「まあまあそんな感じ」
と、共感する部分がある人を、根こそぎ巻き込むといった、言わば
飛び道具的な使い方をすることによってその威力が発揮されている。

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2013年4月21日 (日)

お願い



先月、
電車と青春21文字のメッセージで、
姪の作品が石坂洋次郎 青春賞に選ばれました。

全国3042作品の中の最優秀賞なんて、一生に一度あるかないかのことなので、
この作品の書かれている電車内の吊り下げやパネルを記念に欲しいのです。
でも、京阪の窓口では「ダメなんです」とのこと。
何とか頂ける方法はないでしょうか?

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2013年2月 3日 (日)

従順ならざる唯一の日本人

過去のNHK作品は、政府の腰砕けの外交に業を煮やしてか、

次々と外交能力の強かった時代と、政府への「嫌味」を繰り出している。

大友啓史監督を起用し、「白洲次郎」「龍馬伝」を作り出す。

白洲次郎氏は第二次世界大戦後、吉田内閣で、

吉田茂の懐刀として、巧みな英会話を駆使し、アメリカ進駐軍と対等に向き合い、

“従順ならざる唯一の日本人”

 言わしめた人物である。

ドラマの中のワンシーンが、本当にあった出来事かは定かではないが、

天皇陛下からマッカーサーに、クリスマスプレゼントを渡すシーンである。

そのプレゼントに対し、マッカーサーは

「その辺に置いておけ」

と言うのに対し、白洲次郎は、

「私たちは戦争に負けただけで、奴隷になったわけではない」。

と敢然と言い放つ。

この言葉の重みを、今一度噛み締めて欲しいと思う。

 

また、日清・日露戦争を描く司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」では、

この文面を起用している。

 

「やがて、日本は日露戦争と言う、途方も無い大仕事に、無我夢中で首を突っ込んで行く。

その対決に辛うじて勝った。

その勝った収穫を、後世の日本人は食い散らかしたことになる。

が、とにかく、この当時の日本人達は精一杯の知恵と勇気と

そして幸運をすかさずつかんで操作する、外交能力の限りを尽くして、そこまで漕ぎ着けた。

今から思えば、冷りとする程の奇跡と言っていい。

その奇跡の演出者たちは、数え方によっては、数百万もおり、絞れば、数万人もいるであろう。」

 

1968年から新聞連載されたこの作品であるが、

今から45年も前に、すでに司馬氏は「後世の日本人は食い散らかした」と批判している。

良くも悪くもこの時代までの軍人=外交官は、それぞれの能力を駆使し、

日本と言う国に誇りをもっており、

必要とあらば「切腹」も辞さない覚悟が司馬氏の文面には溢れ出ている。

 

NHKは民放と違い、多少露骨に表現している。

「史実」としても面白いが、深読みすればさらに面白いことが隠されているように思える。

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2013年2月 2日 (土)

いま、なぜ阿弖流為(アテルイ)なのか?

いま、なぜ阿弖流為(アテルイ)なのか?

NHKで、「時代劇」としては珍しい古代史に触れている。

アテルイは東北の雄として、自分たちの住む土地を、

時の権力者である大和朝廷から守ろうと坂上田村麻呂と対決して敗れ、

処刑されてしまう。

学校の授業では、ものの数分、いや数秒で流されてしまうこの戦いを、

あえていまNHKは取り上げる。

それを少し自分なりに深読みしてみた。

 

当然、今現在、東北は震災復興で大変な時期である。

だからこの話しを持ち出した。

というだけではないと思う。

アテルイが生きた時代は、縄文・弥生という自然と共存した時代で、

おおよそ、「大きな権力の支配」などな無い時代であった。

この「大きな権力の支配」と言うのがキーワードなのである。

多少の小競り合いはあったであろうものの、
縄文・弥生時代は、1万年も続いているのである。

同じ頃、ヨーロッパなどでは、権力を求め、目まぐるしく時代が変わっている。

同じように、日本も奈良時代から、目まぐるしく時代が変わっている。

「権力の支配」は、ある意味、自然界との決別を意味し、

「神」ではなく「権力者」にひれ伏すことを要求していくようになる。

 

また、「理不尽なことを理不尽だ」と命をかけて言い放つアテルイは、

いまの日本の国や社会に、まさに大切なメッセージで、

しかも、その「理不尽さ」に命を奪われてしまうのもまた、
今の世の中がリンクしてしまう。

 

私たちが、間違ってはいけないのは、

戦争に勝った者が「正義」で、負けた者が「悪」ではないと言うことだ。

勝者が、都合の良いように吹聴し、また書物を編纂する。

 

このアテルイの話を、「原発反対」に置き換えると、
全く同じようなことがリンクするのではないだろうか?

「アテルイ」

「大きな権力」

「権力者にひれ伏す」

「理不尽」

「理不尽さに命を奪われる」

 

NHKは、日本政府にドラマを通じ、
非常に厳しい意見を突きつけているのではないだろうか?

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2012年10月14日 (日)

平和のゆくえ

10月9日、パキスタンで、マララ・ユスフザイさん(14)が銃撃された。
この衝撃的な事件は世界を駆け巡った。
犯行は反政府武装勢力タリバン。
彼らは、女性に教育は不要など強制してきた。

もともとタリバンは、旧ソ連軍がアフガニスタンに侵攻したため、
無秩序になったアフガニスタンを立て直すために学生達で組織された。
当時、ムシャヒディンに少女2人が誘拐されたのを、
彼らタリバンが無事救出し、英雄扱いされた。
その後アフガニスタンを安定させ、彼らの活躍に希望を抱いたものだった。
しかし、彼らは厳しいまでのイスラム原理組織で、
守らないものを容赦なく処刑し始めた。

マララさんは、それに反発し、ブログを書き続けた。
それが「平和賞」を受賞する形で名前が浮上し、皮肉にも「標的」となってしまった。

世界の国々のは、様々な考え方や、教え、神が存在し、
そのほぼ全て、日本以外は、それぞれの神を崇拝している。
その彼らの信じる「神」は何を教えたのか、その根本を疑って仕方がない。
つまり、『自分以外の「神」は排除せよ』
というのがあるのか?
「多くの神」ではなく、「一つの神」のなるまで争いは続くのか?

ならば国連は、「平和」のために軍を出すのではなく、
軍や武器を作る資金があれば、それを
平和を望む人たちを避難させる場所作りに使えないのか?
そのあと、残った軍同士で、思う存分殺しあえば良い。

日本の我々から見ると、当たり前と思われる彼女の主張。
それが銃弾の標的となるような場所があることを、
いつまでも放置したくはない。

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2012年9月30日 (日)

台風襲来

台風17号。
名前はジェラワット。
天神山の木々が久々に騒ぐ。
町中ではあまり感じないが、
山の中は、かなり恐い。

木々が風避けになって、直接、強風が家に当たって瓦が飛んだりすることはあまりないが、
代わりに枝が飛んで来たり、竹が倒れたりと、違う恐さがある。
大木が、轟々と音を立ててしなるさまは、見ていて心配になる。

どこにも被害なく、早く通り過ぎることを願うしかない。
来週は、倒れた木々、竹の除去と、落ち葉掃除。
かなりの重労働になりそうだ。

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2012年3月 4日 (日)

カワラヒワ来山

カワラヒワ来山
弥生3月。
ぽかぽか陽気。
三寒四温の温か休日。
上巳の節句。
現在のように、
雛祭りとして一般に広まったのは、
江戸時代に入ってから。
それまでは不浄を払う日とされ、
貴族の間だけのものであった。
今年はいつもの冬より寒め。
2月下旬頃から少しずつ綻ぶ白梅も、
今年は3月に入っても1輪綻んだだけ。
他は用心深く様子を見ている。

温かくなってピーちゃん家族はルンルン気分。
食べる食べる。
入れ代わり立ち代わり飛んで来ては、パンをパクパク。
大きなのをくわえて、飲み込めなくて格闘。
「ピーちゃん、ごめん。大きかった?」
「フギャ、いえいえ、フギャ。大・・ピー・・丈・・ピッ・・夫かと・・」
「小さく契っとくから、小さいの食べ。」
「じゃあそうしま〜す。」
と言って小さいのを食べて林の中へ。

しばらくして・・・
外がカサカサ。
カワラヒワが2羽で来山。
先程、小さく契ったパンをパクパク。
そこへピーちゃん。
「ピ〜〜!一緒に食べよ。」

3月3日、上巳の節句、雛祭り。
3日後には啓蟄を迎える。
沢山の虫や動物が冬の眠りから覚める。
ピーちゃんの友達が集まってくる。

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2012年2月26日 (日)

曲面絵画

曲面絵画
曲面絵画
滋賀の大津は伊香立に居を構え、現在
地元の佐川美術館で開催されてる
「ブライアン・ウィリアムズ展」
美し過ぎる〓
「景観は環境の健康をはかるバロメーター」
氏の言葉をさらに力強く語る作品が並ぶ。

巨大なキャンバスは曲面に加工された材木。
二次元のはずの絵画が、曲面が巧に絵に合わさることにより、
三次元に見えると言う錯覚を産む。

「景観は環境の健康をはかるバロメーター」

巧な技術に裏打ちされたメッセージが響く。

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人形浄瑠璃・芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)

人形浄瑠璃・芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)
天神山。
昼過ぎは霰。
地面に落ちて、消える。
先日の雪と昨夜の小雨で、地面はぬかるんでいる。
ピーちゃんにパンをあげた後、しばらく新聞を読む。
するとピーちゃん達が
「ピーピーギュィーギュィー」
と騒がしい。

内容は
「誰?誰?見たことないよ。誰?誰?」

家の窓から外を見る。
石碑のところをキツネが歩いている。
天神山ではあまりキツネを見かけることはない。
餌を探してか何処からか迷い込んだような感じだ。
ピーちゃん家族、
「ピィーピィーピィー
みんなで道案内をしている様。
程なく、天神山を越え、比叡山に戻ったようだ。

天神山にキツネ。
上方落語には「天神山」と言う綺麗なお噺しがある。
芦屋道満大内鑑「葛の葉」をモデルとしたお噺し。
「恋しくば
尋ね来てみよ南なる
天神山の森の中まで」
ある春の日のお噺しである。

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天神山のウィンター・スウィート

天神山のウィンター・スウィート
ウィンター・スウィートと呼ばれる花がある。
甘い香り、ロウ細工のような透明感のある花びらをもつ臘梅である。
天神山では12月下旬頃から咲き始め、3月中旬頃まで、その美しい姿を楽しませてくれる。
黄色い花は、まだ冬模様の木々の中で、一際その鮮やかさが際立つ。

天神山山頂の通尾神社跡碑の隣。
臘梅の木は、ピーちゃんの羽休めの場所でもある。
甘い香に囲まれながら、チョイチョイと花をついばむ。
ピーちゃんいわく、「美味しい」のだそうだ。
ついばむピーちゃんに声を掛ける。
「ピーちゃん、パンあげる。」
そう言って小さく契って投げる。
すると、
上空からトンビが急降下。
パンを掴んで上空へ。
ピーちゃん慌てて戻る。
「恐い、恐い、恐い」((゜Д゜ll))
上空でトンビが鳴く。
その声に今まで木々で賑やかに鳴いてたピーちゃん家族の声が、ピタリと止まる。
トンビが行ってしまうまで臘梅の香りに囲まれる。
「慈愛」
ピーちゃん達を包み込む臘梅の優しい花言葉。

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